大切な人を失うかもしれないグリーフ(予期悲嘆)、または失った時のグリーフ(悲嘆)。
また、大切なペットを失うかもしれないグリーフ(予期悲嘆)、または失った時におけるグリーフ(悲嘆)。
その違いは何でしょうか?
それは対象が「人」か「ペット」かですが、これが大きな違いなのです。
人は自分で健康に気を付けようという意思がありますし、具合が悪ければ自分で病院に行けます。病気になったら治療方針も自分で選択できます。
ですが、ペットは違います。ペットはそもそも自分で健康に気を付けよう、とは思っておりませんし具合が悪くても飼い主に言葉では伝えられません。逆に隠そうとすることさえあります。そうなるとペットの健康管理は全て私たち飼い主にかかっているのです。年に一回のワクチン、血液検査、具合が悪そうにしてないか?していたら動物病院に連れて行く。
そして私たち飼い主はペットが病気になった時、さまざまな治療の選択を突き付けられ、悩み苦しみます。ペットの状態によっては安楽死という選択方法をもつのも飼い主です。
そして、最期に愛するペットが旅立った時、「わたしの選択はこれでよかったのか?」という自責、後悔の念に再び苦しみます。
ペットは人間よりもあっという間に年を取っていきます。
飼い主の年齢をペットが追い越しても、それでもペットはいつまでもかわいい我が子のまま。だからこそ、つらいのです。
私は、人へのグリーフ(悲嘆)とペットへのグリーフ(悲嘆)は全く同じではないと思っています。
近年、人とペットにおける関係性はより密着してきたからこそ、ペットのターミナル期における飼い主のグリーフケア、ペットロスグリーフケアは今後、さらに専門的な分野となっていってほしいと思っています。